会社というのは、人間関係が多くをしめるものです。
だから、
より評価をされたくて、
イエスマンになろうとする。
なぜそうなるかと言うと
会社というのはなんだかんだ言って上司に気に入られたやつが上にいきます。
仲間に愛される人も評価されやすい。
もちろん売上絶対主義な会社もあるもので全てがそうだとはいえませんが。
そのほとんどは人間関係により評価されるものが多いものです。
だからこそ、
イエスマンであろうとして、頼まれごとには何でもイエスと答えては仕事を引き受けていきます。
その仕事の中には嫌いで不得意なことにも勤しむ人も少なくないでしょう。
その働き方は否定しません。
チャンスというのは「えいや」と飛びつかないと手に入れられるものではありません。
Noばかり言う人にはチャンスはいずれ与えられなくなるでしょう。
仕事の多くが人間関係が占めるとはまさにと思います。
ぼくは人の好き嫌いを仕事に持ち込むなと常々思うものですが、
人間心理といいますか、それは不可能と言わざるを得ないのが現実です。
そうでありながら、
会社というのは資本主義社会の中で、利益を上げ続けなければなりません。
利益を上げられない会社は淘汰されていきます。
だからこそ、
周りの評価ばかりに気にして、いいように見せるよりも、生産性高くいたほうがいいように思えてしまうのです。
要するに
頼まれごとには、何でもイエスとして答えるイエスマンではなく、
Noと言って、
空気を読まず得意なことに注力して生産性高くいたほうが結果的に良いと思うんです。
生産性が高い人は、
言うなれば、能力が高い人が多いのです。
会社の看板を背負っているからこそ生産性のある人を評価できるものでしょうか。
看板を背負わずして、
個々の能力で生産性高くいることができる、
売上を出すことができる。
そういう人はいずれ独立していくことになるでしょうが。
嫌いなことに、得意でないことにも引き受けては生産性が低くあるよりも、
空気を読まずにNOと言っては、得意なこと、好きなことに注力していく。
そうするので、好きこそものの上手なれとはまさにで、
結果的に生産性が高くいられる。
そんな働き方もありだと思うのです。
ではまたっ