パンダの備忘録

ヒトを越えたいパンダの備忘録

結果至上主義と努力の意味

どんなに努力しても評価されないという人は少なくないと思います。

実際に幹部と言われる人であれば
そんな声も上がっているかもしれません。

しかし社会というのは結果主義です。
努力をしたから評価されるという社会ではありません。


だからどんなに努力しても価値提供ができていなければ結果はえられないということです。

ぼくは病的に結果至上主義だなと思ってしまいます。

なぜならぼくはその過程に全く興味がないからです。
結果が同じであれば、その過程がどんなであろうと興味がありません。
仕事の仕方、やり方を気にして指導すると人がいますが、
ぼくはそれをしません。
結果を教えて、これと同じであれば問題ないと判断してきました。


過程に目を向けると感情が入ってきます。

例えばよく仕事が休む人がいるとすると、
過程をみるとその人が病気なのか、または精神を病んでしまって仕事にこれないのかもしれません。

そうではなくて、権利として有給を消化しまくっているのかもしれません。

親がなくなって忌引なのかもしれません。

ぼくは理由なんて全く興味がなく、
仕事に来ていないという結果しかみていないのです。

だから過程で何があろうとなかろうとサボりと同じだと考えしまうのです。

サボりだろうが、精神疾患だろうが仕事に来ていないという結果はかわらないからです。

もちろんこれだけではありません。
結果至上主義は数字で物事をみることができます。

数字に感情はありません。
これまで結果至上主義者は今のところあったことがありません。

感情論を抜きにした会話は時に人でなしと言われかねないところもあるのでいっていないだけかも知れませんが。

会社もこれを実践できているところは少ないです。

精神疾患なら休むのは仕方ないと思うところもあるからです。

そういう観点からするとぼくは人でなしかもしれません。


努力は結果にて意味があるものではなく。
その過程にて意味がある。
努力をして成長したということは間違いないことだから。

ではまた。