工事中の横を通った時交通整備をしている御老体を見て、ふと感じたことがありました。
勝手な妄想だが、
彼がもしトヨタとか大きな会社で定年まで働いていたとして、でもまだ働きたいと感じていたとする。
おそらく定年後で働ける仕事は数える程度だろう。
シルバー人材として今、ぼくの目の前で交通整備をしているのではないだろうか…
っと。
どんなに大きな会社で働いていて、ぶいぶい言わせていた幹部も、そして小さな会社で齷齪働いていたとしても、ブラック企業で働く企業戦士だったとしても
65歳で定年したらみんな一緒で一律のシルバー人材になるということです。
トヨタの幹部だったから、交通整備の幹部になれるわけもなく、
名も知れない小さな会社で晩年平社員だったとしても、
定年して会社の看板を下ろしたら何者でもないただのシルバー人材になってしまってはいないだろうか。
ふと思った。
「それでいいのか。」
かつて会社の看板を背負い部下を何人もまとめ上げた手腕は会社の看板を下ろしたら何者でもないただの御老体になっていいのか。
大きな会社であればもしかたら、とてつもない退職金を得て社会的にリタイアしているのかもしれない。
社会人としてリタイアするならいいが、
もし65歳以降も継続して働いていくのなら、
ぶいぶい言わしていた手腕が見る影もなくなるようなことにはなりたくないも感じてしまいました。
いや、リタイアしたとしても落ちぶれた御老体にはなりたくない。
いくつになっても、突き進んでいきたいものです。
ぼくは自身の身体で人体実験をつづけ、
どうやったら人を超えられるのか日々研究しては実践してきました。
その動向はこの備忘録として残し、Xで呟いています。
これらの実験はもしかしたら、いずれ来る65歳のXデーにみんな一律のシルバー人材にならないための準備かもしれない
っと
この寒空の中散歩して考えていたことです。