パンダの備忘録

ヒトを越えたいパンダの備忘録

優生思想の危険性について考える

資本主義社会である日本において、
資本主義の根幹は競争にあり、
能力至上主義なのは間違いないでしょう。

だからこそ、
生産性や能力がある人間は勝者になりやすく、
ないものは敗者になります。

資本主義において、
生産性や運動能力等が恵まれない人は、
生きる価値がないのではと考えられやすい傾向にあります。

その考えが生きすぎた先が、まさに優生思想と呼ばれるものでしょう。

能力に優れた人を残して、
人種に優劣をつける優生思想はときに悲惨な結果を残してしまうこともあります。

その優生思想の一つとして言われているのが、

メンタリストdaigoさんの発言より炎上した、
「ホームレスを救うより猫を救うべき」
という発言から

「自分は他の人と違うから一緒にしないでほしい」
という考え方というもの。

結果的にdaigoさんは謝罪をする形にはなってしまいましたが、

ときに優生思想は残虐な思考に陥りやすいです。

「戦後最悪の犠牲を出した殺人事件」と言われる
相模原市の障害者施設殺傷事件はまさに優生思想が引きおこした悲惨な結果です。

かのホロコーストも同じです。


資本主義社会において競争を根幹とするからこそ、
生産性に優れた勝者は、「自分は違う」という考えになりやすいです。

そして行き過ぎた発言は炎上し、社会的にパージされます。


生物だからこそ弱肉強食みたいな優生思想の主張はしてはいけません。

人類が発展してくることはできたのは、社会のいうグループをつくり、弱い物に対して守ることを生存戦略としてきました。

競争により勝者になり富を得て影響力を身に付けることができたのであるのならば、
弱いものも包括的に助ける思想を身に付けなければならないと思います。