パンダの備忘録

ヒトを越えたいパンダの備忘録

働く人がいなくなる日。

お金の問題というのは尽きないものだなと感じる日々です。

 

自分の給料が全国平均と高いか低いかで一喜一憂するもの。

 

SNSでいくらで生活するのはどうなんだと問いかけるという人も見かけます。

 

周りの友人と給料を比べるという人もいれば、

お金の話はタブーのように触れないようにする人もいます。

 

ただ天文学的に稼いでいる人はマウントのために言いたいかもしれませんが、

実際は自衛のために周りに言わないもんですが、そんな人の絶対数は少ない。

 

 

お金の不安というのは尽きないもので、

年収200万だろうが、それが2000万になろうとしてもまだまたま稼がないとと思わせる魔力があるのです。

 

「足るを知る。」

というのは禅で言われることですが、

今に満足するという考え方は幸福感を得るのに必要な考え方ではないでしょうか。

 

 

というのも老後2000万円問題というのが、未だ心をざわつかせている要因ではないでしょうか。

いや近年の物価高を鑑みるともっと高くなるという話でもあります。

 

それは今の貯金と収入を照らし合わせても不安になります。

 

常々思うのですが、

国は不安を煽るよりも自身の最低幸福感を得られる最低支出から必要貯金を割り出す計算方法をおしえるべきであると思うのですが。

 

平均から割り出される貯蓄2000万円は何の意味ももちません。

 

 

現実性が乏しいFIREになれればと考える人もいるのではないでしょうか。

 

ところで、

散々お金の不安をあげてみたのはいいのですが、

 

お金と仕事とはきっても切れない関係に思います。

 

現状の仕事が嫌だから、

仕事をしない手段であるFIREができないかと考えたり、

不労所得で生活の糧にできないと模索したりするのではないでしょうか。

 

お金のことに注目されがちですが、

如何に好きな仕事を成すことができるかを模索したほうが現実的ではないのかなと感じるのです。

 

お金か好きな仕事かとお話になるのですが、

最低賃金で生活できれば、どんな仕事でも対応できます。

 

だから最低幸福感を維持できる最低支出を知る必要があると考えています。

 

ぼくは貯金が2000万貯まったから安心とか

不労所得でいくら稼げるようにとか考えるよりも、

 

好きな仕事に没頭できる環境を模索することが大切だと思うのです。

 

 

あまり仕事のことに関心が向かない人も多いと思いますが、

いくらお金があっても働き手がいなければサービスも受けられない問題は意識されていないように思えるのです。

 

東京の一点集中になっている日本では、

地方に行くにつれて働き手がいないということになりやすいです。

 

地方では先生不足が一年前より、より深刻化している。

バス不足も深刻化しており本数を少なくしたり、廃線になったりしているとのこと。

 

もちろんそれ以外でも人不足、働き手不足は深刻化しているのです。

 

そうなるとお金の不安というよりも、

如何に好きな仕事を、もしくは快適に仕事ができるかを国も我々も考える必要があるのではないかとも思うのです。

 

究極的な話、

手元に一億あったとしても介護職員がいなければ介護サービスを受けることはできません。

 

稼ぐ能力があっても、保育士がいなければ子どもを保育園に預けることもできません。

 

当然バスも乗ることはできません。高齢化になればなるほど自動車の運転は不安がつきものです。

 

 

お金というのは物やサービスを受けるための交換券でしかありません。

それ自体に価値がある訳でないのです。

 

そのサービスを、物を作る人がいない状況であればお金はいくらあっても仕方がないのです。

 

お金ばかりに注目されますが、

楽しく働くということも考えていかなければならない問題かもしれません。

 

 

ではまたっ。