日本は成果主義です。
とある研究では、
競争は嫌いだけど、
自己責任だよねっという思想があるそうです。
なんとまあ理不尽な思想なこと。
資本主義という競争思想を根幹にしながら、
競争を嫌い、
かといって失敗したり、足手まといになるのは自己責任だから手は貸したくないということらしい。
さて、
競争社会で成果こそ市場という世の中、
仕事において結果を出してこそ評価されます。
頑張ったから評価してくださいというのは幻想なのです。
とはいえ、
努力したとしても必ず成功するとは限りませんが、
努力しなければ成功はしません。
そこで、
常につきまとう問題があります。
努力は「質」か「量」か問題です。
「質」も「量」も大切という的外れな意見を持つ人がいますが、
それは当たり前。
大前提。
白黒問題、0か100が好きな人が少なくない中、
どっちも大切だよっという頭の悪い回答をするなと言いたい。
んで、
パンダからの回答はいつも同じ。
「量」
それ一択です。
質を求める意見があることも承知しています。
量よりも質だろという意見のなかに、
量というゴミをたくさん作ってもゴミはゴミと言われるのです。
だから質を大切にして、
方向を見極めて、正しい努力をするべきです。
ある人はセンターピンを見つけてそこに一点集中といいます。
なるほど。
ならあなたは質というその方向性がわかるんですか。
という質問が生まれます。
質を見極められないなら整ったゴミが一つできるだけではないのかと感じるのです。
この質を見極めたほうがいいという意見は大いに賛成です。
方向性を見極めて、
そこに圧倒的な努力を投下すれば勝てるのです。
ですが、
何もわからない分野で、その方向性を見極められる人は天才です。
才能なのです。
質を見極められる才能がない凡人は量をこなして見極めるしかないんです。
それは勉学でもいえるのことです。
教科書の中からテスト問題は必ずでるというのはよくある話です。
質の方が大切というのは、
テストに出る内容を完全に見極められれば最小の労力で満点をとれるのです。
これこそ勉強せずに高得点がとれる才能の持ち主です。
でも、見極められなかったら終わるのです。
ヤマが外れた。
という虚しい結果によくなる人がいますが、
そういうことです。
量の努力はどんなものかといいますと、
教科書全部丸暗記です。
圧倒的な努力と時間を投与して教科書丸暗記すれば満点がとれるのです。
脳筋万歳。
方向性?
出る問題を見極める?
そんな才能がないなら、
ただ脳死で丸暗記や。
もちろんそこに圧倒的な努力と時間が必要です。
質と量のどちらが大切かを考えるというのは、
学生の頃から悩ませ続けてきたことです。
なぜなら
誰しも努力をしたくないからです。
努力なんてせずにスマホでポチポチ遊んで、
Youtubeでエンタメを楽しんで、
最小の努力で及第点を狙うのが利口と考えます。
そして点数が低かったら、
ヤマが外れた、
やっぱり努力しないとな。
また同じことを繰り返すのです。
ビジネスでは結果を出せないと淘汰されます。
淘汰されればそれは食うこともできなくなるのです。
やはり質(方向性)は大切なのです。
ですが、
質を見極められる才能がないのなら、
量をこなして、
あっちに努力してみたら、だめだったから次はこっちに努力しよう。
努力しては反省して学び、
質を見極めていくしかないのです。
教科書というものはビジネスの世界にはありません。
丸暗記すれば勝てるという世界線ではないのです。
その丸暗記という戦略も使えないからこそ、
さらに質と量という問題が顕著になるのです。
量と質どちらがいいかを考えるのは自分自身です。
結果を出せれば勝ちなのです。
僕のように才能に恵まれないパンダは、
闇雲に努力に努力を重ねる方法しかないのです。
圧倒的な量をこなすしかない。
そこから見える明日もあるのではないかと。
ではまたっ。