新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ぼくは今年も理想に向かって全力で走り抜けます。
では新年最初の備忘録を置いていきます。
はてさて。
他の国がどうこうとは知りませんが、
かくいう日本では自分がどのような仕事をするかを自由に決められます。
どのような場所にも住もうが自由ですし、
何を信じようが自由です。
かつて日本は学校が就職先を斡旋していて、
そのまま進路を進めばよかったという時代があったとかなかったとか。
宗教によって違うかもしれませんが、
とはいえ結婚も自分の意思で決めることができます。
結婚でさえも、自由意志がなかった時代もありました。
ぼくはそんな時代を生きてはいなかったので、
真実は定かではありませんが。
先人たちの死屍累々の屍の上に、
ぼくたちは自分の人生を自由に決めることができるのです。
ところで、ぼくは車を所持していません。
今後どうなるかはわかりませんが、現状では車を所持したいとも思っていません。
車は安くても車体価格100万円。
普通車ならその倍以上でしょうか。
当然ガソリンや税金などの維持コストもかかります。
たとえ毎日働くぼくが通勤に使えば、数分の時間削減は可能でしょう。
ですが、
会社が負担してくれるのはガソリン代だけです。
車体価格を負担してくれるわけではありません。
当然ちゃ当然ですが。
電車であれば、通勤代はほぼ負担してくれるところが多いです。
電車の維持コストはないとして、会社が負担してくれるのです。
通販会社も整っている昨今。
重い荷物はアマゾンや楽天等を利用すれば無問題。
あれ。そう考えると、
よっぽどのことに使いまくらないと車のコストをペイできなくないか。
と思ってしまうのです。
バイクの免許も所持していますが、
車も最早趣味の領域になりつつあるな。
と思っているのですが、
そういったことを言っていると、
いやいや田舎では車がないと生活は維持できない。
そんなことを言うなんて無責任だ。バカ間抜けアンポンタン。
と言われてしまいました。
はてさて、
ぼくも片田舎の出。進学とともにぼくは一都市に移住しました。
そこで生活を続けているので、
地方に行けば行くほど、車が必要な気持ちはよく分かります。
近隣のコンビニまで徒歩30分は脅威です。
ですが、そもそも
インフラも整っていないような田舎に住むと決めたのは自分ではないのですか。
人は生まれは自由に選択できません。
生まれた所がインフラも整っていない田舎ならどうしようもありませんが、
成人して仕事を選ぶ際に、
その場所を選択したのは自分ではないのですか。
つまり問われるのは自責思考か他責思考かです。
交通インフラが整っていない環境で仕事をして、
車がないと不便な環境に住むと決めたのは自分自身です。
であるならば、
インフラが整っている環境に住む人に噛みつくのではなく、
そこにしか住むことができないという自分に責任を問わないといけないと思うのです。
ぼくは島ぐらしというのも好きですし、
実家のある片田舎の環境も好きです。
もちろんどうするかは自由です。
その代償を負うのも自分自身が決めることです。
環境が悪いところから抜け出せないのも自己責任。
自由には責任が伴うというのはよく言われる話です。
まさにそのとおりなのです。
寝てない自慢みたいなくだらないことはやめよ。
寝ることが困難な仕事に就いたのもあなた自身。
嫌なら転職すればいいですし、
それが困難なのは勉強してこなかった自分自身。
人生の岐路すべてが自分で自由に決められる反面、
その代償はすべて自分自身に降りかかってくるのです。
親ガチャ?
先に死んでまう親にいつまでしがみついている。
いい年していつまで親に責任を取らせようとしている。
アメリカのように住所で人生が決まるということもあります。
日本ではそこまでではないにしろ、
東大に進学する人の親の平均年収は日本一という調査もあるくらい。
すべてがすべて平等にチャンスを与えられていると考えるのは安易かもしれません。
ですが、
環境にどうこう責任をとらせようとしても無駄なのです。
そんなことできるわけがありません。
自分がどう環境に適用するか利用するか決めるのです。
このまま今の自分でいくのも一興。
理想に近づくために自分を変えようと努力するのも一興。
自由です。
ではまたっ。