働き方改革が謳われて久しいものです。
長く働いている人には、
なにそれ。
あんま変わってなくね…
という意見も聞こえてきそうです。
また、運輸業の働き方改革によって労働時間等がより厳格になりました。
が、現場では大して守られていない。
守ってたら仕事(お金)にならないという風の噂も聞こえてきます。
というのも、
厳格したものの、努力義務ばかりで
「いやいややらんやろ」
とか
「守らんでも良い」
とかになってて未だ労働者にとって経営者にとって働き方はブラックボックスになっているところもあるのだなと思うこの頃。
さて、
教育面も似たような制度がありましたね。
かの「ゆとり教育」と呼ばれるものです。
ぼくは好きな制度でしたし、今でも良い制度であるとも感じています。
土日完全休み。
詰め込み教育の時代を経て、
生きる力、感性を磨く。
多くの社会科見学のようなものをしてきたものです。
それにともなって犠牲になったのが、
知識不足というテストの点数悪化でした。
世界的にみても、
日本はこの期間は著しく平均点数を低下させていたといいます。
でも、どうなんでしょう。
アカデミックと社会というのは混同するものではないという考えもないわけではありませんが、
社会というのは答えのない問いを求められることが多いのです。
答えのある知識をひたすら詰め込むことに社会的な意義はあるのでしょうか。
感性を磨き、
問いのない答えを思考する考えこそ社会を生き抜いていく準備をする機関として重要であったのではないかと。
さらに学力を伸ばすのは、
授業の多さではありません。
自主学習の多さです。
いくら詰め込み授業をしたところで、
自宅学習をしなければ記憶の彼方に忘却されて終わりです。
であるならば、
余暇時間が増えていたはずのゆとり教育は、自主学習に最も適した期間でもあったのでは。
授業の質ばかりに目を向けていた家庭が、
自宅学習を疎かにしたばかりに、大切な自宅学習時間を結果的に減らしてしまったのではないかとも思うのです。
そんな簡単な話ではないのですけどね。
そして
それは働き方改革も似たようなものでもないかと感じるのです。
鬱。
過労死。
長時間労働による弊害で、
働くどころではなくなった人たちも少なくありません。
ワーク・ライフ・バランスこそ、生産性をあげている。
とドイツ的な考えをもっているとかいないとかで、
働き方改革は年々厳格化していっています。
勉強も仕事もスポーツも
如何に自分で技術を磨くかが、競争に勝っているのが現実です。
つまり。
働き方改革でどんどん格差は広がっていくだろう。
と考えられるのです。
残業が少なくなった。
より余暇時間が増えた。
っと家と会社を往復して、
ソファで横になりながらテレビをダラダラ見てポテチをたべる毎日。
残業をしない空いた時間で遊んだ人と学びを続けた人との差は埋められません。
どんどん広がっていくことになります。
余暇時間を増やすことによって、
得られた時間をどう活かすか。
ぼくらはそれを問われているのではないでしょうか。
ではまたっ。