「ここまで勉強したら十分でしょ。」
ぼくは学生時代テスト勉強をしていたときに、何百とこのセリフをいってきました。
そして社会人になってから
「こんなの誰でもできる」
運がいいから成功したんだ
と妬む日々。
しかし、そんな日々を繰り返してきて学ぶことはあったのでしょうか。
毎回テストの点数は思ったように伸びることはありませんでした。
そのたびにもっと勉強すればよかったと思ってきました。
無知の知。
逆に知識があるほど深みを知ることができるのです。
勉強すればするほど、
人は分からないことが増えていく現象が生じます。
そうなるとあれもこれもわからないことが多いと不安にかられてもっと勉強することになるのです。
その先に目標とする高みに行くことができるのです。
無知を知らない人は不安にかられることもなく、驚くこともなく満足感を得て成長が止まります。
先にあげた
「ここまで勉強したら十分でしょ。」
はこの典型でしょう。
それは仕事でも同じことが言えるのです。
プルプルのオムライスを作る人を見ては、
ちょっと練習すればできるようになると思えてしまうほど、料理人はいとも簡単にやってのけます。
YouTubeがただで見れる媒体であるからこそ、
自分が面白いと思えるものを見、面白くないと思えるものはさっさと変えれてしまいますが、
そこでよく感じるのは
このYouTuberは大した事ない、
「ぼくのほうがおもしろいことできる」と吐露するものです。
他にも部長は仕事ができない。
僕らのことをこうすればもっとよく見えるのにと
何の生産性もないのに同僚と飲み屋で上司の悪態をつくこともあるでしょう。
そう
熟練した人ほど簡単にやってしまうのです。
ぼくはブログを書いたり、YouTubeに投稿したり、
雇われで仕事をしていく中で、その仕事の一旦を垣間見たときに、
彼らはなんてすごいことをしていたんだろう。
と打ちのめされてばかりいます。
今日もぼくは駄文を生産し続けているのです。
文章を書くのがこんなにも難しいと感じる日々。
そうです。
その一端でも知ればどれだけ難しいことをやっているかわかるのです。
トップYouTuberと呼ばれる人たちはトップを走るだけのことはあるのです。
大谷翔平選手は人間離れした体勢からでもホームランを量産しては世界トップの選手に君臨しています。
その一つの物事を極めるために、圧倒的な努力をし続けているのです。
その舞台を知らない、
その舞台に立たない人たちは、
「何であんな球に手出すねん。」
「もっとこれしたらおもしろい。」
と語ることもありますが、
「誰が言っとんねん」
ということになります。
その一端でも、深みを知らない人が語ることは愚かです。
バッシングなんてもってのほかです。
結局は
その舞台にたって経験しなければ学ばない人はもう十分と感じるし、簡単にやれると思ってしまうのです。
それが、無知と智者の違いです。
ではまたっ。