「有名な人になりたい。」
かつて昭和初期の時代には日本でなりたい職業について聞かれたとき若者はそう答えていたそうです。
戦時中という時代がそういう考えをもたらしたのかもしれません。
今では公務員やyoutuberといったものがでてきて、
嘆いている人もいれば、時代かと感じる人もいるでしょう。
テレビにでる著名人やyoutuberとして大成した人たちがどのようにして成功したのでしょうか。
「あの人たちは運に恵まれた。」
そう思う人もいるのではないでしょうか。
それも間違いではないと思います。
狙ってビジネスを成功してきた人もいるでしょうが、
たまたま偶然と偶然が重なり上手いこといってしまったという人もいるものです。
ただ運任せでは成功しようがないと思いますか。
そこに留意するべき事柄を忘れてはいませんか。
それは
相手がどれだけ努力してきたか盲目になっている。
ということです。
成功者と呼ばれる人たちが
運が来るのをただ指をくわえてただ成功するのを待っていたと思うのでしょうか。
その裏では血の滲むような努力をしていているのです。
ぼくは運というのは努力の先に運が味方すると考えています。
人によっては誰も見向きもしなかったサービスにいち早く手をつけて、そこで圧倒的な努力をしてきたかもしれません。
だれもyoutubeというものに注目せずいち早く手をつけた人たちがいました。
クラウドファンディングに目をつけて、新しいサービスを実現してきた人もいました。
iphoneが誕生したとき、
ガラケーでいいじゃんと考えた人も少なくなかったそうです。
知らないことを否定する人が多いのも日本人の特徴なのかは知りませんが、臆せず挑戦しては先行者報酬を手にしてきた人が成功したという考え方もできます。
もちろんそれで手痛い失敗をした人はもっと多い。
だれも未来はみえません。
新聞がこんなに斜陽産業になると思ってた人はいないでしょうし、
youtubeがこんなに広く浸透すると思ってた人も多くはなかったでしょう。
それは運があったといっても仕方ありません。
でも、ただ指を加えて見ていたわけではありません。
常にアンテナを広げて、情報を収集する努力。
「幸運の女神には前髪しかない」
と語ったのはレオナルド・ダ・ヴィンチだとか違うとか。
しかし、誰が語ったにしろ、
あ、チャンスだと思った時に掴む後ろ髪はないのです。
そしてそこで結果を出すために圧倒的な努力を続けているのです。
その陰の努力をみない人、みたくない人は
総じてこういうのです。
「ただ運がよかっただけ」
そこで片付けてしまっては先に成長はないでしょう。
運が味方することもないでしょう。
その舞台に立てば、
大成した人たちの努力の姿を垣間見ることができます。
たいして面白くないのにyoutubeで成功している。
ただ座っているだけでテレビに出ることができている。
そう考えている人もいるでしょうが、
その舞台にすら立てない人が語るべきことはありません。
もし少しでも成功したいと思うのなら、
テレビをダラダラ見ている時間もありません。
飲み会と称して無駄な時間を過ごしてもいけません。
目先の業務に忙殺されてはいけません。
一ミリも好転しない世のゴシップニュースに感情を揺さぶられる暇はありません。
チャンスだと思ったら臆せず飛び込み
努力。
常に努力しよう。
ではまたっ。