パンダの備忘録

ヒトを越えたいパンダの備忘録

ファッションと衣服の違い。

外見をよくしようと思って、

ファッションに気を使っている。

 

という人は少なくないと思います。

 

かといって「」俺ファッションなんて興味ないし」とか本当は雑誌を買い漁って熟読しておきながら、ファッションセンスがないことを知られないために予防線をはっている人もいることでしょう。

 

 

ところで、

人が人たらしめる文化的に必要なものとしてあげられるのが、衣食住だと思うんですよ。

 

でも、

ファッションと衣食住の衣は違うよねって話。

 

 

ぼくがすっぽんぽんで歩いてたら通報されると思うんです。

 

それは法律で明記されているから、犯罪でもありますし、

外では100%服を着ているのに、すっぽんぽんのぼくが抜穂していたらそれはそれはおかしな目を向けられることでしょう。

 

当たり前ですが、

そんなことで通報されていません。

 

なぜならぼくは服を着ているから。

 

 

でもファッションセンス良いよねとは言われたことないんですよ。

 

服はしっかり着ているけど、

ファッションセンスは良いとは言われない。

 

 

まあ、ぼく自身ファッションセンスは皆無と思っているからそりゃそうだよねと思うんですが。

 

でも

アフリカの奥地の民族では未だにすっぽんぽんのような格好で狩りにでている部族もあるわけです。

 

そんななかで意味があるのかわからないけど、

服を完璧にきているぼくはやはり奇異の目でみられるのではないでしょうか。

 


てことは、

衣食住の衣は文化的、気候を最低限で満たすことができていることだと感じるんですよ。

 

これは食や住にもいえることで、

この食事は人が生きるための最低限の食事を指しているのであって、

マクドナルドで1500円で食べるファーストフードと15000円のフルコースのレストランとの違いを指しているわけではないってことですよね。

 

同じく住も3万円の賃貸で生きていけるのに、

見栄張ったり、警備システムなど理由をつけて富裕層は30万円の物件に住んでいるという話でもないんですよね。

 

てことはつまり、

衣というのは

ユニクロのTシャツ1980円とヴィトンの19万8000円の服は衣ではなくて、ファッションであり趣味の領域。

 

加えてとある女性の発言として

「ファッションは我慢」

 

と言っては真冬にミニスカで抜穂する女性をみたりもするわけです。

 

ファッションというのは

文化的、気候的な意味合いを時には逸脱しているんですよ。

 

ファッションは衣という文化的、気候的なものを満たしておいてかつその中で飛び抜けるために時には逸脱して他とは違うところを見せつつ外見を良くするための半分趣味な領域と言えるんだろうなって。

 

最近思っているわけです。

 

衣食住の衣を享受しておきながら、

趣味の領域を考えられる日本は平和であることの象徴でもあるでしょう。

 

加えて、

生きて行くためには3万の賃貸で良いと思うし、

マクドナルドとは言わないけど、健康的な食事にめちゃくちゃお金はかからないと思うんです。

 

そして借金してまでアパレルブランドに手を出す必要もないと思うんです。

 

ユニクロのTシャツで十分じゃないですか。

いいですよユニクロ

生地感で言えば倍以上の値段出さないと違いが分からないと思います。

 

要するに

衣食住を満たせていればぼくたちはとりあえず生きていけるのです。

足るを知るというのは幸福感を維持するのに時には大切だと思うのです。

 

ここまで考えてもファッションセンスは一ミリも良くなりません。

 

 

 

だからぼくが何が言いたいかと言いますと

錦三丁目で

「お兄さん可愛い子いるよ!」

って言うのについていっても大体可愛い子いないよ

って話をしたかったんです。

 

 

ではまたっ。