パンダの備忘録

ヒトを越えたいパンダの備忘録

我々は他人の言葉で出来ている。

僕らは僕らの言葉を話しているのでしょうか。


というのも赤ちゃんの頃は物事の良し悪しを何も知りません。
話すこともできません。


赤ちゃんは特に親の周りの言葉の影響を受けて話すようになっていきます。


今でも本を読んだりエンタメを見たりして情報のシャワーを浴びています。

道徳観や話し方というのは、周りの影響をもろに受けていきます。

結果人の話をたくさん浴びた中で、その中から吟味してそれを言い回しを変えて話しているだけではないのでしょうか。

よく「お前の言葉を聞きたい」

というけれど、
そんなものは存在しないのではないのかという疑問がついて離れないのです。

「お前の言葉」は他人の言葉でできているからと感じるからです。

いろんな情報をこねくり回して吟味して、話したことが、
「自身の言葉」なのでしょうか。

どうしても違和感を拭えません。

あなただけの言葉というのは存在しません。

言葉は共有してこそ価値があるからです。

ということは、
この言葉は誰かの影響をもろに受けているのでしょう。

僕らは僕らの言葉で話をしていない。