最上の思考は孤独のうちになされ、
最低の思考は混乱のうちになされる。
人は一人では生きていけない。
至極ごもっともです。
いかなるときも、誰かの助けがあっていきています。
しかし常に集団の中でい続けなければならない。
そんなことはないでしょう。
昨今はSNSのサービスが発達し、
スマホでいつでもアクセスできる時代になりました。
会社、学校という集団から抜け出しても、
SNSという集団の中で46時中縛られているそんな人もいるのではないしょうか。
電車やバスの中では、スマホを常にぽちぽち触っている人が、読書や新聞、寝ている人よりも多いのです。
常に何か集団の中に繋がっていないと不安で仕方がない。そんな人が増えているような気がします。
何人も友達がいた経験がないから、
言えるのかはわかりませんが、
友達てそんなに必要かなと思うことがあります。
ぼっち飯がさびしくなったときがないことはないですが…
ちなみにだれかと食べる食事は美味しく感じるそうです。実際にそのような研究があるそうです。
孤独を愛せるようになると、
一人でいてもとくに寂しいと感じることはとくにないです。
というのも、
一人でないと逆に気が散って、
趣味に没頭できないのが大きいのかもしれません。
私の趣味の一つは、
読書です。
読書は友達や集団の中では、
なかなか集中できませんよね。
SNSで投稿した内容に返事があるかどうか、
常に気になっていては、集中できません。
一緒に読書する友達がいればべつですが…
本を読んで、
考える時間は孤独でないと、
なかなか深く進まないものです。
もう一つのメリットとして
とくに所属している集団がとくにないので、
どこに所属していようが、
所属していまいが特に気にならなくなることでしょうか。
居場所に固執しないので、
失う怖さにあまりこだわらないという感じでしょうか。
言いたいことを言えない、
我慢しているという状態てないですか?
八方美人のように、仮面を被る必要がなくなります。
集団の中でいると、
空気を読み合う、そんな状況に気疲れするんですよね。「孤独を楽しめる人」は、そんな気疲れと無縁です。
失う怖さがないので、
気を遣って言いたいことを言えない、
そんなもやもやををあまり感じません。
孤独ということばに、
マイナスのイメージがつきまとっているような感じがしますが、
孤独を愛せる人には、
・考える時間に使える。
・気疲れをしなくなる。
という2つのメリットを謳歌できます。
孤独を愛することは、
自分が自分らしく生きる
ことができるのではないかと思うこのごろ。
そう、孤独な私を肯定するための思考です。